<   2006年 12月 ( 39 )   > この月の画像一覧

c0032392_1043617.jpg【土曜日】
午後 知人の講演会
夕方 GSE忘年会

【日曜日】
夕方 ジビエの会(カミエ)→。

メインのエゾ鹿肉は着席、そのほかはビュッフェ形式。すでにみなさん顔なじみなので4時間あっという間でした。
同じ建物の上階では別のワイン会を開催中との情報。酔った勢いでみんなで覗きに行ってみたら、幼稚園時の同級生のお母さんがいらっしゃって、そのお隣には母がやってる公文の教え子のお母さんがいらっしゃって、さらに同じテーブルには経済同友会の環境問題委員会でお世話になってるワーキンググループの方がいらっしゃって、酔いがさめました♪
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<お茶>はなぜ女のものになったか ― 茶道から見る戦後の家族
加藤 恵津子 / 紀伊國屋書店

単なる茶道及び茶道史にまつわる本ではありません。著者は人類学者、本書は学位論文を和訳したものの抜粋で構成されています。したがって時折、茶道関連図書には似つかわしくない海外の人文科学研究者の論文引用が登場します。

茶道といえば「一期一会」ですが、これにこだわらないことは最初に宣言されています。稽古に通うひとを「茶道修練者」と表記するなど、一般的な茶道案内書とは一線を画しています。私は数寄者の端くれとして30年近く経ちますが、共鳴できる点は多々あります。著者自身が実際に稽古に通い、社中の活動に合わせ、さらに個人教授からカルチャーセンターまで幅広く携わり、「修練者」に聞き取りをしたことで、現代の茶道観が的確に捉えられています。

茶道を海外に紹介するようなわかりやすさはありません。しかし日本人ならわかるであろうところが大半です。ananMOREなどで時たま「簡単茶道講座」みたいなものが1ページ程度にまとめられていることがあります。そのくらいの付け焼刃なら、この本1冊、主要箇所を抜粋する方がわかりやすく、興味もわくことでしょう。

ところで肝心の「なぜ女のものになったか」。周知のとおり元々は武士・町人の男性の嗜むものでした。戦前の旦那衆も、芸事のひとつはできないと、との意識から茶の湯に関心を持っていたといいます。戦後の財閥解体により、そうした関心がビジネス本位に移行し、経済的に利益を生み出さない茶道への関心が急速に薄れていきました。
明治維新で打撃を受けたのが、茶の湯の家元です。それまで大名につかえることが仕事だったのに、大名が消えてしまったものですから、突如貧窮状態に陥りました。
男性修練者の減少と反比例して女性が増えた要因のひとつが、女学校の授業に取り入れられた作法の時間。茶道を学ぶことでこれを補ったといいます。
戦後は、日本の西洋化に対して、唯一日本文化を守るのが茶道である、なぜなら茶道は日本文化様式のすべてを取り入れた「総合文化」だから、というキャンペーンが見事に当たりました。また、かつて学校で習った茶道を、子育てが終ってからもう一度やりたいという女性が増え、さらにイメージとしての「花嫁修業」が世間に浸透することで若い女性も稽古に通うようになる。その繰り返しで女性が圧倒的に茶道修練者の占める割合を増やしてしまったとのことです。

男性修練者についての言及が少ないのは残念です。最後にはジェンダー的視点が見え隠れしたのも。男性修練者側の言い分も厚くするとますます面白いことでしょう。

図書館で借りました
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道新夕刊にの篠田編集長によるコラム「週刊誌を読む」が連載されています。この13日掲載分がどうも引っかかりました。

話題は2つ。後半は石原真理子さんの暴露本。本ではすべて実名で書かれているのに、ワイドショーではイニシャルに変えているのはおかしい、と。
何をいまさら、の問題提起だし、いまさら石原真理子でもないでしょ、石原といえばさとみか慎太郎。

気になったのが前半。週刊新潮が取り上げた「陛下のガンも笑いのネタにした皇室中傷芝居」。この記事によって、主催者である週刊金曜日に右翼が抗議に詰め掛け、その芝居を上演した劇団はテロを危惧して「さる高貴なご一家」ネタを行わないとHPで表明したとか。

新潮が指摘していたのは、「病気を笑いのネタにしていたこと」及び「秋篠宮家に生まれた悠仁様の扱い」。とりわけ後者は、悠仁様を表現した人形を「皇太子に男子が生まれたらあんたなんかいーらない」と舞台袖に放り投げたとのこと。この部分について篠田編集長は、コラムでもブログでも一切触れず、「言論や表現をめぐる許容度がまた狭められた」と嘆いています。
ただでさえ親による子殺しの増加で世の中がうんざりしているのに、この認識。際限の無い「表現の自由」が自らの首を絞めることになりましょうに。篠田編集長によれば「相当前から上演されてきた有名な寸劇」。ならこうした展開も予想できたでしょうに、これまた何をいまさら被害者面してるのか。右翼が怖いなら端からそんなネタを使うな、と60年代のアングラ芝居なら総括されるところ。

産経新聞ではWiLLの花田紀凱編集長が同様のコラム「週刊誌ウオッチング」を連載中。皇室の件にも石原真理子の件にも触れています。こちらは正論。
午前 起き抜けから左手がしびれている。社内打合せ。
午後 来客相次ぐ。
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医療機器納入で談合か ムトウや竹山など道内十数社検査 公取委

 道内の国公立病院や大学付属病院などが発注した医療機器の納入をめぐり、談合を繰り返した疑いが強まったとして、公正取引委員会は十二日、独禁法違反(不当な取引制限)の疑いで、医療機器卸全国最大手のムトウ(札幌市)、道内大手の竹山(同)など十数社を立ち入り検査した。

 立ち入り検査を受けたのは両社のほか、フィリップスエレクトロニクスジャパン(東京)、常光(同)、シーメンス旭メディテック(同)の札幌市内の支店や営業所と函館のプラステンメディカルなど。
 関係者によると、各社は道内の国立病院機構の病院や道立病院、北大病院、札幌医大病院などが過去数年間に発注した医療機器納入の競争入札で、事前に落札価格や業者を取り決めるなど談合を繰り返していた疑いが持たれている。
 これらの病院が発注した医療機器は、立ち入り検査を受けた十数社が中心となって受注。機器は注射器やエックス線フィルムなど単価が比較的安価なものから、一台数億円に上るコンピューター断層撮影装置(CT)などの機器も含まれるという。医療機器の販売をめぐっては、国の医療費抑制策を背景に医療機関側が一斉に納入業者に価格引き下げを求めていることなどから、売り上げが減少傾向にあるという。
 公取委は立ち入り検査と併せて各社の担当者などから事情を聴き、談合を繰り返した背景や詳しい手口などの解明などを進める。
 竹山の総務人事部は「立ち入り検査は事実だが、詳細は分からない」と話し、ムトウ総務部は「談合の事実はないと認識しているが、検査には協力しており、結果を待ちたい」。プラステンメディカルも「検査には協力している。談合はしていない」と話し、フィリップスエレクトロニクスジャパン、常光、シーメンス旭メディテック各社は「詳細が分からずコメントできない」としている。

【13日付北海道新聞
第一報が12日の夕刊に掲載、13日朝刊では同業界の現状について詳しく報じられていました。
語弊があるかもしれませんが、公取の出張る「談合」は久々な印象。最近の談合は「天の声」による「官製談合」との報じられ方が定着してしまいましたが、すべて贈収賄絡み。だからこそ公取ではなく警察が、入札妨害の容疑で逮捕しています。
我が業界は、市役所のくじ引き入札などの問題から、適正価格についての議論がようやく喚起されてきたところでした。収賄と談合を一絡げにするような報道の横行で、入札改善(改革ではない)の気運が停滞しないか心配です。そこにまったく他業界の談合。
医療業界については素人ですので、迂闊な批判は控えます。しかし新聞報道からは、相当あくどいことをやってきたのだなぁ、とのイメージが刷り込まれます。建設業界よりも身近な医療業界。道路設計の談合といっても「道路って設計するの?」という市民が多数を占めるでしょうが、CTスキャンといえば御老人でも御馴染み。「あの機械は高そうだよね」くらいのことは言えます。
多分、各社とも言い分はあるでしょうが、市民には伝わらないことでしょう。代弁してくれる媒体は、せいぜい医療業界紙。しばらくは「あの会社は悪い会社だ」との謗りは維持されます。一般紙報道の恐ろしさです。
午前 社内打合せ。
お昼 ロータリークラブ例会。
午後 帰社。社内打合せ。
夕方 通夜(白石記念斎場)。
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知事が3人も逮捕された事件を掘り下げた朝日新聞社会面連載「知事権力」。4回目の今日のタイトルは、「一転 牙むく業者」。各地の改革派知事に対し、業者が恐喝・脅しまがいのことを仕かける実態が書かれています。そのなかから抜粋しましょう。
 浅野史郎・前知事(58)によって入札改革が進んだ宮城県。浅野前知事は著書などで「落札率の低さは全国トップクラスとなった」と胸を張る。一般入札の導入で、業者の健全なたたき合いが広まった成果だ、と。
私個人は浅野さんの真摯な姿勢には好感を持っております。当社は宮城県からの受注が無い、対岸の火事、ということもあります。
改革派知事ですから、落札率を下げることで目標は達成できたことでしょう。それにしても、かぎかっこで括られていませんが、”健全なたたき合い”って、ほんとに浅野さんの発言なのでしょうか。
”健全なたたき合い”とダンピングとの違いは何でしょう。たたき合えば、底無しです。採算度外視で取りにかかります。つまりダンピングです。”健全な”と”たたき合い”は相反する言葉です。”さわやかな殺し合い”なんてありえません。
 「賃金にしわ寄せが行き、以前にはなかった手抜き工事も発覚した」
との県建設業協会長のコメントに”健全なたたき合い”の結末が表れています。
午前 社内打合せ。
午後 年末のごあいさつで市内回り。
夕方 帰社。社内打合せ。
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韓国総領事館が移転 新庁舎で業務を開始

 在札幌韓国総領事館(姜益淳(カンイクスン)総領事)が十一日、札幌市中央区北二西一二の新庁舎に移転し、業務を開始した。
 同区北三西二一の旧庁舎の老朽化に伴う移転。鉄筋コンクリート三階建て延べ千百四十平方メートル、敷地二千平方メートルで、ともに旧庁舎の二倍の規模になる。五月に着工し、十一月末に完成した。
 業務開始に当たり姜総領事や領事、職員合わせて九人が庁舎中庭で、韓国国旗を掲揚。姜総領事は「建物は新しく大きくなったが、その規模にふさわしい職務を行うように」と訓示した。
 中央部の吹き抜けなどにガラスを多用し、ビザやパスポートの受付窓口のあるロビーは明るい雰囲気。旧庁舎は塀のインターホンを押して敷地に入る形だったが、新庁舎は道路から直接ロビーに入ることができる。
 建物一階には、約百人を収容できるイベントホールも設置。ロビーに韓国の観光パンフレットを備えている。移転に伴う同領事館の新たな電話番号は(電)011・218・0288。

【本日付北海道新聞
当社を中間にして1kmちょっとのお引越しです。旧領事館は馴染みの喫茶店のはす向かい。日韓に緊張関係が生じると街宣車が集まるため、機動隊が周辺道路を封鎖、お茶しに行くにも緊張したものでした。マンションだらけの桑園・円山地区において、米国領事館同様、貴重な建物だっただけに、寂しくなります。
新庁舎は、北1条通にも石山通にも近いけど、車通りは少ないという閑静な場所。旧庁舎と環境は似ています。夏場はよくチャリで建設中の現場横を通りました。あっという間にできるもので。隣は旧中央図書館。ここも再開発される予定です。
午前 常務や部長らと打合せ。
午後 北海道若者サポートステーション主催の経営者・人材育成担当者向けセミナー
    「地域に生きる企業」(ちえりあ)。c0032392_17355844.jpg
講演は(株)北海道日本ハムファイターズ事業本部コミュニティグループ土田光男シニアディレクター。「3年で日本一に ~北海道日本ハムファイターズの経営戦略と地域貢献~」というお話。
北海道移転時の道民世論調査では「日ハムを応援する」との回答が1%だったそうで。それが今シーズン、入場者数4万人を超える試合が13、うち負けたのは1試合だけ。ファンの応援の心強さがここに表れていて、日本シリーズでも「札幌ドームでは負ける気がしなかった」。
在京時代、東京ドーム人気に頼ってファンサービスが疎かになったことを反省、北海道では一転、すべてにおいてファンサービスを優先という活動指針を立てたそうです。「社長さん方に置き換えれば顧客満足ですね」。経営理念が夢を持つことで、優勝するのはもちろん、道民が自分たちの球団だと思えるようにしたい、と。野球が生活に根差す、日々の話題に「昨日の日ハムは…」とネタになるような、そんな理想像があったそうです。
ファンを大切にする一方で、「無理難題」との分別が課題に。PTAの会合に監督を連れてきてとか、色紙を送るからサインして返信してとか。裏話はなかなか面白いのですが、現場にとっては対応に困ることもあるそうです。「ひとつの要求に応えたら、すべての要求に応えなければなりません。でもそれは不可能。新庄選手は野球をしないでサインを書き続けなければならなくなる。すべて断ってもアンチ日ハムは生まれませんが、中途半端なところで対応をやめてしまうと不公平感によりアンチ日ハムを生み出してしまいます」。したがって協賛等も原則断っているそうですが、障害者施設などについては特別に対応しているとのこと。
営業が212市町村(当時)すべてに挨拶に回る計画を立てたのも、札幌の球団ではなく北海道の球団であることのアピールと共に、郵送ではなく直接、記念品と挨拶状を届けることによって無碍にはされないと考えてのこと。あ、測友会だよりを手渡しにしようと提案した私の考えに似ている(笑)
夕方 帰社。
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倒産社長、復活列伝 三浦 紀夫 / 草思社

図書館で借りました。縁起でもない本ですが、1日で読み切れるほどの余裕がまだあったのだなぁ、と再確認できました。自殺したくなったときに自殺の本を読んで考えを改めたような効果。

私がビジネス書や経営指南の類の本を読まないのは、大方が独善的に思えるためで。読んで感銘を受ける経営者もいるでしょうし、だからこそ書店はビジネス書のための棚を充実させています。しかしその多くは、「こうすれば業績が伸びる」「これで社員のやる気が出る」と大風呂敷を広げる割に、ありきたりの話、「それで儲かれば苦労するかよ」で終る内容。著者が経営をアドバイスするだけで実際に経営したことがなかったり、よしんば経営者の著書でも成功してしまった社長だったり、が大半です。それが独善的になる要因かと。経営コンサルタントは所詮他人事、勝ち組はなんとでも言えます。当社の業種・業界や私個人が抱える問題にヒントを与えてくれるビジネス書には、出会ったことがありません。そういえば先日「おたくの会社の業績を上げてやる」と大見得切っていた近所のおっさんも、姿を消しました。

本書に関心があったのは、成功者とは真逆の経営者を取材しているところ。厳密に言えば一旦成功をおさめながら、倒産の憂き目にあい、そこから「復活」した方々。倒産の仕方も様々。これも厳密に言えば、倒産ではなく事業譲渡などを含んでいるため、全員が悲惨な生活に追い込まれたわけではありません。あ、この倒産 = 悲惨という図式自体が先入観であることも本書で著されています。

とはいえ、これまた結局は「復活」した社長たちの話。現在はまた社長をやっていたり作家や議員になったりと多様な仕事に行き着いていますが、倒産した頃を懐かしめるほどに「復活」しています。みなさん失敗しても前向きに捉えているのが共通しています。これこそ「復活」できる資質。殆どの失敗経営者が、死を選んだり(実際に自殺を考えた方も登場しますが、思いとどまるきっかけが家族など、救われる余地があります)、寂しい晩年を過ごすのも事実。その点で先述の成功者の弁と似た読後感に見舞われます。結果オーライかよ、と。

家族が支えてくれた、死ぬ間際にパチンコをしたら当たった、友人が資金を援助してくれた、などなど復活の要素もドラマティック。読み物としてはとっても楽しめます。でも経営者としては一度たりとも倒産したくないし、倒産が怖いから、メタボリックな肉20kgと引き換えにがんばっているわけです。

図書館で借りました
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この週末で、会社周辺もまずまずの積雪となりました。先週の執行役員会でも申し合わせがありましたとおり、積もり始めが怖いもの。運転には注意しましょう。
とはいえ、速度を落とせば安全、とは限りません。無闇なノロノロ運転は、確かに追突は避けられましょうが、追突される可能性も逆に高まります。
この時期、雪道に不慣れなドライバーは格段に速度を落として走ります。それ自体を責めるわけにはいきません。渋滞を引き起こす要因ではありますが、事故が無いことに越したことはない。
ところがここに北海道の運転技術のおかしさが加わると、事故に直結します。すなわち、右左折時の方向指示器点灯。
私は北海道に帰ってきて10年になりますが、いまだこの交通マナーには馴染めません。確か内地の教習所では、右左折の何メートル前かで点灯を開始し、速度を緩め、曲がる方向の車線に車体を徐々に近付ける、と習いました。
北海道ルールでは、まず交差点で急停車、曲がりながら方向指示器を点灯。これが複数車線なら、曲がる意思も汲み取りましょう。問題なのは一車線での場合。
交差点に差し掛かっても方向指示器を点けなければ、後続車は直行すると思いますわな。ところが急停車。本人は曲がるために止まったと、主張するでしょうが、追突の危険性は充分。夏場なら慌ててブレーキを踏めば間に合いますが、冬場、しかも必要以上にツルツルの交差点での急ブレーキが間に合うわけもない。10年前にそれでタクシーに追突したことがあります。カマ掘ったこちらが全面的に悪いのですが、今でも納得いきません。

というわけで安全運転で♪
午前 社内打合せ。来客続く。
午後 社内打合せを数本。来客。
    執行役員らから次年度に向けての計画が続々と上がってくる。
    経費削減の一方で少数精鋭の力を発揮できるよう考慮されていて、嬉しい。
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キノの日曜18時以降上映は、一律千円。メンズデーの無い同館で男性が安く観るには、この時間帯しかありません。だからというわけではないのでしょうが、人気作品よりはカルト作品がよくかかるように思われます。一風変わった作品なので、観客も変わった方々が多く、そんな変わった人々がロビーに溢れるのも、日曜夜の同館の情景。「変態村」の客層には驚きましたが、今作もひとあじ違った顔つきの方々がちらほら。今回私の隣に座った方は予告編中、タクトを振るように手を動かしていましたが、作品が始まると寝てしまいました。

この手のテーマが好きな映画ファンにとっては、満足できます。どうしてそうなったのか、それからどうなるのか、を考えなければ。宗教的背景があるとか、メッセージ性があるとか、であれば仕方なく、映像美を堪能するのみ。これで物足りない人々が、児童にまつわる何らかの犯罪に走るのだろうなぁ、と。その意味ではここに集える同志は、安全。友達にはなりたくないけど。

シアターキノ ■ 公式サイト
 
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ソウルの風景 ― 記憶と変貌 四方田 犬彦 / 岩波新書

5年前の本です。書評を頼りに図書館で借りました。
その書評の切り抜き、どうしてそれに興味を持ったのか覚えてません。取り立てて韓国へ用事があるわけでもなく。ただ切り抜くくらいだから、思うところはあったのでしょう。何を思ったのかを確かめるべく、借りた次第。なんだか自分探しのよう。

1979年にソウルに滞在していた著者が2000年に同地に赴いて感じたことを、世相を交えて綴られています。一気に読み終えました。タイトルからはわかりませんが、著者は映画を研究されているので、韓国作品にも当然精通しています。今のような韓流ブームではないし、その先取りというわけでもありません。詳しく語るくだりでも「JSA」あたり。それがちょうどよい感じなのです。

大阪の友人に時々映画の評論を書くライターがいまして、彼女が韓国作品を嫌ってます。私はある時期までハマっていたので、そりゃあ食わず嫌いというものだ、と諭したものです。が、現状では私も、金を払ってまで観るべき韓国作品は減ったなぁ、と実感しています。これも韓流などとブームに乗じてどんどん韓国作品を買い付けた弊害でしょう。

本書が韓国を取り上げているのにすらすらと読めたのは、偏ったイデオロギーが前面に表れないからです。一般的に日韓の話題では左右とはいわないまでも、好き嫌いでどちらかに揺れます。それを抑え気味に書いたとて、自然、にじみ出てくるものです。左右の軸があるとすれば、本書は79年と00年現在の比較という別の軸で語られています。慰安婦の話題も登場しますが、これとて時間軸及び老婆との触れ合いで終始しているので、素直に00年の同地での現状を受け入れられます。

韓国の伝統行事の変遷、光州事件、文学の世代間ギャップ(例えば谷崎潤一郎がいつまでも読み継がれる日本とは違い、各世代で人気作家が終結してしまう)、金大中大統領のノーベル賞受賞における国民の本音や、慰安婦の抗議活動に対して必ずしも肯定的に捉えていない国民もいることなど、生々しい話が尽きません。テレビや雑誌がいかにバイアスをかけているか。

図書館で借りました
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