<   2006年 12月 ( 39 )   > この月の画像一覧

社説の大研究 ― 新聞はこんなに違う!
産経新聞論説委員室 編 / / 産経新聞社

産経新聞では自紙と朝日・毎日・読売・日経の社説を比較する企画があります。大きな事件や政局などで各紙論調がどのように異なるか、がわかるようになっています。朝日・毎日 vs. 読売・産経の構図は変わりません。内容が微妙に異なることがあります。それでも朝日の非現実的な理想論と、産経の極めて現実的な正論が対極にあるのは不動。

本書は平成3年からの10年間をまとめたものです。最後に小泉前首相がチラっと登場するくらい古い話題です。こうしてみると朝日の優等生ぶりが際立つ一方、読売って結構まともなこと書いているのだねぇ、と新たな発見も。

中央図書館で年末年始のために借りました。大晦日に読むにはうってつけの1冊です。

図書館で借りました
[PR]
c0032392_18531212.jpg今年最後の話題が不法侵入車というのも今年を象徴しています。
本日20:30、当社駐車場にCALDINAが無断駐車されているのを発見。即通報、約10分後に警察官1名ミニパトで到着。ナンバーを照会したところ、法人名義の車とのこと。

c0032392_1854382.jpgで、彼は帰って行きました。

いつもは個人所有車なので、警察側で連絡をとり、所有者が慌てて来る、というパターン。それが今回は会社なので、電話は通じず。会社名を尋ねると「個人情報なので」教えてくれない。こちらは被害者なのに?「知りたければ、陸運局で」。年末のこの時間に役所がやってるかよ。

c0032392_18522839.jpg駐車場敷地内の場合は民事なので、警察は盗難車かどうかまでしか確認しません。こちらとしては以前の事務所荒しもあったので、不審車かどうかを確かめるのが先決。次の段階で無断駐車としての対処になります。が、運転者が戻ってこなければ対処のしようがない。1時間ほど待ってみたものの、一向に戻らないので、置手紙をワイパーに挟んでおきました。
 
[PR]
女生徒 太宰 治 / / 舵社

書評だったか、評論の引用だったかでこの作品について述べられていました。面白そうなので図書館で検索してみたところ、短編として新潮文庫「走れメロス」に収録されているとのこと。
この本なら実家にあるはず。中学で読書感想文を書いたような。当然表題作のために読んだので、他の8編はペラペラと目を通した程度。それにしても「女生徒」のタイトルさえ失念するほどのペラペラだったのか。
今回は他8編にメロスを入れ替え、「女生徒」に注目。

女子学生が、朝起きて夜寝るまでの一日を描いています。独白調。しかも毒舌。そんな自分を反省したり肯定したり。漫画でいえば岡崎京子が似合いそう。
図書館で借りました
[PR]
本日で当社2006年の営業は終了します。仕事始めは2007年1月5日です。
みなさまよいお年を。

午前 銀行へ年末挨拶。帰社。
午後 大掃除。15時には終了。各セクション毎に年末のあいさつ回り。
    私のブースにもみなさんあいさつに来てくれます。
出口にさりげなく結婚写真を貼っておきましたが誰も気付かず。最後のセクションのみなさんもあいさつを終えて普通に出て行こうとするので引き止めて解説。「気が付きませんでした!」と。昨日は母にも同様の写真を見せましたが、まず「眉毛が整っていない」との指摘。息子が結婚した写真なのに驚かないものなのね。一番驚いたのが総務部長。悲鳴を上げました。そこまで驚かなくても。ちょうどよいリアクションというのは無いもので。

[PR]
「仕事と引き換えの天下り禁止」 = 関連法案、通常国会に提出 - 安倍首相
 安倍晋三首相は28日昼、口利き行為への罰則などを盛り込んだ国家公務員法改正案の扱いについて「基本的方針は全く揺るがない」と述べ、来年の通常国会に提出する方針を示した。その上で「仕事と引き換えの形で天下りすることは絶対ないようにしていく。全体を一括して変えていく」と語った。首相官邸で記者団の質問に答えた。
時事通信本日15時配信】
忘年会では同業社長と愚痴をこぼし合い、あいさつに歩けば役所も協会も「来年の業界はもっと悪くなるでしょうなぁ…」と正直な現状分析を聞かされ、という年末でした。
今年に始まったことではありませんが。確か去年も一昨年も「今年が底だから」と励まし合ったはず。いつの間に底が上げ底ならぬ下げ底になったのか。

そんな折、天下りに関する法改正だそうで。

役所のOBがいれば仕事がもらえる、という時代はありました。背番号だのカウントだの言って、定年前に割愛された方には仕事の割り当てがあり、受注者側にもメリットがあったものです。
しかし、それも談合ができた時代。その談合も官製談合。今や「官」はそんな親切な仕切り、してくれません。OBがいてもいなくても、ダンピングで大手が持って行ってしまいます。

そんな悪いことをするつもりのない公務員を、あえて締める必要性があるのでしょうか。
一連の知事の不祥事に絡んでいるのでしょうが、以前から述べているように、あれらは贈収賄。知事が談合をさせたから官製談合、との括りになっていますが、これらの事件では公務員は重要な役割を果たしていません。逮捕された幹部職員もいますが、悪く言えば知事のパシリ。言い換えれば、イジメ問題です。

つまり早急に検討しなければならないのは、知事の多選が腐敗に直結するのか、と、知事からの偏った指示に対抗しうる権限を幹部職員に与えることができるか、といったテーマ。なんぼ公務員を絞ったところで、効果が非常に薄いのは予想できます。

高知新聞サイトより借用それにしても公務員の天下りばかり目の仇にされますが、どこの世界にもあるのではないでしょうかね。例えば、東大を退官した教授が私立大学に迎えられるのも、朝日新聞を辞めて地方局へ移るのも。

引退したプロ野球選手なんかどうでしょ。テレビ局専属野球解説者という肩書のOBは公務員OBと酷似してます。OBと一緒なら役所(球場)に出入りしやすいし、部長や課長(注目選手)など接しづらい幹部にも先輩風吹かせて、事業の動向(バッティングの具合)などの情報を聞き出せるし…ほら、こんなに似てる♪
午前 来客。協会に年末挨拶。帰社。社内打合せ。
お昼 ロータリークラブ例会。
午後 帰社。今年お世話になった方々へごあいさつ。帰社。飾りつけ。
夕方 日本テクノさんから依頼のあったカレンダーを北海道ボランティアセンターへ届ける。
[PR]
札幌市中央区の地崎工業本社にある、初代地崎宇三郎の像。深々と頭を下げ、来客を迎える(ようこそさっぽろサイトより借用)昨夕道新夕刊に「岩田建設地崎工業を吸収合併へ」の見出しが一面に載りました。早ければ来年4月にも。地崎は今月から200人のリストラにも着手しているそうです。談合事件の影響を受け、大手ゼネコンのダンピングが相次ぎ、受注が予想以上に減っているとのこと。地場の名門・地崎の名が消えるのは寂しいものです。

先代社長は開発局の元局長。現在の社長は、北洋銀行の元専務。こちらはロータリーで毎週お会いしていた方です。そんな大物を続けてトップに迎え、110年の歴史を誇り、三代目は運輸大臣。そんな大手企業が自社ビルを手放し、思い切ってバスセンターのビルへ移転、経費削減に努めていましたが、限界だったようで。

その元本社ビル。隣には昔ながらの長屋がありました。そこで私は小学生の頃からお茶を習っていました。教育大学前から市電に乗って。西4丁目へ向かう通学路を、月曜日だけはすすきの方面へ。92年竣工なので、私が通っていた頃はまだあんなに立派なビルは建っていません。私の師は、工事に取り掛かった頃に亡くなりました。長屋も今では無くなりました。
午前 道庁直行。開発局・国土地理院ほか年末挨拶回り。帰社。
午後 常務と来年の話。幹部社員と打合せ。来客相次ぐ。北大恩師に年末の挨拶。
    北大にも久々行ってみると、農学部建物内部の工事で様変わり。元の院生室と
    教授室が棟で離れてしまっていて、挨拶に行くのも離れに行くかのよう。
c0032392_1135620.jpgc0032392_11352062.jpg夜分 カエルヤ珈琲店忘年会(→)。
    参加者が食べ物飲み物を持ち寄る
    もので、私は飯寿司を持参。
c0032392_18285644.jpg

[PR]
テレ朝サイトより借用昨日、1年3ヶ月ぶりに死刑が執行されました。
執行のたびの賛否両論。そんな死刑制度を、談合問題に重ね合わせて考えてみます。

まず死刑制度の必要性。
犯罪抑止力としての効果は少なからず、あるでしょう。廃止論者も、効果がまったく無いとは考えていないのでは。これ、つまりは「必要悪」。

先般、宮崎県知事選に立候補を表明したそのまんま東氏が「談合は必要悪」とコメントし、翌日にはあっさり撤回しました。それほど「必要悪」という言葉自体に、世間体の悪さがつきまとうのです。建設業界も、いまさら談合が必要悪だとの論戦を張ろうとはしません。

しかし、いくら言葉狩をしたところで、死刑も談合も「必要悪」の役割を任じてきたことに変わりありません。談合は、必要悪が認められなくなった世間情勢を鑑みて、確実に減っています。無くなった、というよりは成立しえなくなった、といった方が正しく、それほど独禁法・公取が恐ろしいのです。これこそ抑止力。

冤罪の可能性についても、廃止論者が声高に訴えます。
裁判は、三審制を敷いています。冤罪はこのシステムの中では本来、起こりえません。控訴・上告の過程で時間的に検討の猶予が与えられるのも、冤罪を食い止める可能性を高めています。

翻って談合は、摘発されたら即、指名停止。これは例えれば、逮捕されたら来週死刑ね、というほどの素早さ。反論の余地が与えられるのは公取への申し開きであり、発注者の官公庁は問答無用で指名を一定期間停止します。
業界が恐れているのは課徴金だと世間では考えられているようですが、それは大手の、千億単位で仕事をしている一部の企業。中小零細企業が恐れているのは、指名停止。特に地場業者は県単位で仕事をしているので、県から指名停止を受ければその日から仕事はまったく無くなります。北海道で指名停止を受けても九州で食い扶持を上げる、それがダメなら中国で、といった大手とはそこが違います。

裁判では、検察と判事がそれぞれの役割を担います。改正独禁法では、この両者が同じ公取で行われます。つまり起訴すりゃ有罪。談合の疑いがかけられたらそれまで。冤罪の可能性は、高まります。

よく談合は「税金の無駄遣い」といわれます。死刑囚はどうでしょう。
執行されるまで何十年も待たされる死刑囚もいます。執行される前に寿命で死んでしまう死刑囚もいます。明日にも殺されるかもしれない死刑囚を生き長らえさせる間、国民の税金で食事を与えています。現在、死刑確定囚は100人近く。100人の三食と住居、管理する法務省役人。ひとりの死刑囚にかかる経費は高くつきます。

なにより、死刑確定囚としていつ殺されるかわからないまま日々暮らすのは、辛いでしょう。その辛さをもって刑罰に値させるというなら、そういう刑罰として法制化すればよろしい。死刑→本当の無期懲役→無期懲役、の順で。死刑反対と声を上げ、法相にサインをさせにくくさせている市民団体こそ、死刑執行を遅らせて死刑囚のドキドキ感を煽っているのです。どちらが残酷なのだろう。
午前 病院直行。
午後 帰社。常務と来年の話。社内打合せ。
夜分 知人と会食(左岸)。目立たないところにあるダイニングです。
    が、これほどサービスの行き届いたお店はホテル以上。
 
[PR]
ふぞろいな秘密 石原 真理子 / / 双葉社

昨晩、イブの夜恒例の「明石家サンタ」を見てましたら、この暴露本の話題が頻繁に登場してました。書かれたことにショックを受けているそうで。週刊誌などでもようけ取り沙汰されているので、どんなものかと読んでみました。図書館で借りるまでもなく、大丸の三省堂持込喫茶で。レモネードが温かいうちに読み終えられるような、内容の薄っぺらぁ~い本です。買うまでもない。

強いて言えば、デビュー作「翔んだカップル」の相米慎二監督や、「ふぞろいの林檎たち」の鴨下信一さんの思い出に触れている辺りはほっとします。
 
[PR]
昨日の道新記事「指名入札廃止 道に困惑」は実態をよく書いてくれています。全国知事会の談合防止策指針についてです。道建設情報課のコメントは
「設計や測量業者は建設業と違い、過去の実績を示す客観的な指標がない。一般競争入札では、経験のない業者が参入してくる恐れもあり、すぐに導入するのは困難」
さらに指針に沿えば20社以上の応札が必要になりますが、道内では事業者数が少なく
参加可能な会社が数社しかない地域も多い。指針に従うなら、対象地域を広げることも必要になるため、道東の建設業者は「地方の小さな工事にも大手が参入してくるのではないか」と危機感を募らせている
至極正論。ここにきてようやく道新も現場の声を拾ってくれるようになりました。

午前 岩見沢直行。常務と年末のあいさつ回り。
午後 帰社。社内打合せ。
[PR]
釜ケ崎と福音 ― 神は貧しく小さくされた者と共に
本田 哲郎 / / 岩波書店

クリスマスイブに読むのにもってこいの1冊。
結果的に読み終わりがイブの夜に差し掛かっただけで、本書はタイトル通り、カマの話を読みたくて借りました。今年春先に発売された本です。新刊は届くまで2ヶ月はかかります。本書も10月に予約を入れてようやく。忘れた頃にやってきたので、クリスマスのタイミング。

タイトル通り、というのは、内容もそのままで、前半に西成の話が出たあとは、ひたすら聖書の読み解きです。クリスマス気分がいやがおうにも盛り上がります。クリスチャンは寄せ場でボランティアをします。先日読んだ山谷のホスピスも信仰心が随所に表れています。本書はさらに聖書に踏み込んだ仕立てになっています。

アイヘンバーグの絵から始まるのも象徴的です。
画像をお借りしています<(_ _)>
炊き出しに並ぶホームレスの絵ですが、キリストはその列に描かれています。キリストは「ほどこし」を与える側ではなく、「貧しく小さくされた人たち」の側にいるのだと。
聖書の読み解きではこの「ほどこし」が上からの目線で与えるものと思われがちですが、実は哀しさを共有・共感することを指す、という解釈になるのだそうです。また「貧しく小さく-」という表現が多分に登場します。

著者が西成の野宿者におにぎりを与えようとすると仲間を指して「この人らの分もあるんか」「わし一人やったら食われへん」。あると言うと「すまんな」と食べてくれたという場面。
路上死した人々の慰霊の場で500円玉を「両替してくれ」と言う労働者。聞けば「わしなぁ、500円玉一個しか無いねん」。仲間が死んだことがそこでわかり、供えたいが明日の朝食の分も残さねば。それで両替してくれと。
毛布を夜、野宿者に配っていると「兄ちゃん、すまんな、おおきに」。
救う側であるはずが、彼らの反応によって己が救われた気分になる。
労働者がこれからの生活を憂い、愚痴をこぼす。隣にいた労働者が「兄ちゃん、わしらもいっしょやで」。
いずれも西成の、労務者のおっちゃんらのナマの姿です。

結論は、食べ物や寝床を与えるのではなく、自活できる段取りを手伝うこと、と〆ています。
ひとの立場に立って考える、という教育は正しくない。同じ立場に立てるわけはない。貧しいひとの立場に立つのは難しいし、かといって貧しくなれ、というのも論理がおかしい。それよりも教えてもらう、という姿勢が正しく、聖書でもそのように読める、とのこと。

よいクリスマスイブでございました。

図書館で借りました
[PR]