火曜日の動静/HBAサマークラシックコンサート2008


会長による弔辞を代筆しております。先回の弔辞が外部から評価されたもので、倅に書かせろと。そうそう訃報に接することはないと思っていたら、こういうことは続くものです。

弔辞ですから、追悼の念を逸脱しない範囲でまとめなければなりません。
難しいのは、私が物故者の人となりを知らないこと。会長に聞かねばなりませんが自身も、披露すべき故人との生前の思い出に困ることがあります。つまりエピソードが無い。
付き合いが深いほど、真摯なほど、ひとさまに聞かせる弔辞から離れていきがち。語弊があるかもしれませんが、内輪ウケです。親族だけならそれで充分。でも故人が財界・団体で活躍されていた場合は、その要素こそが弔辞の核心になります。かといって役職・公職の羅列では弔辞とは。赤塚不二夫のまんがNo.1シングルズ・スペシャル・エディション

7日の赤塚不二夫さんの葬儀での、タモリさんの弔辞。付き合いが濃いから書けたといえましょうし、濃過ぎたら書けないだろうとも。白紙を読んでいたのではという噂がまた弔辞に重みを増します。

午前 坐禅。出社。室長打合せ。札幌開発建設部・開発局へ受注のごあいさつ。協会。
午後 帰社。営業部長、顧問らと打合せ。常務話し合い。営業部長ふたたび、みたび。測友会。帰社。営業部長打合せ。
  HBAサマークラシックコンサート2008Kitara)。
ロータリーでお世話になっていて西高の先輩でもある同社の会長から招待いただきました。
札響です。



弔辞

 8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
 われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。

 10代の終わりから我々の青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然、私の眼前に現われました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやって来たあなたは「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ」と、こういいました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日、新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。
 いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私にとって金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。
 その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのために騙されたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから、後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。
 あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃんの葬儀の時、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をピシャリと叩いては「このやろう逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言でいい表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりの、すばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ」といっているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。

 私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼をいったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼をいう時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼をいわさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです

合掌。

平成20年8月7日 森田一義

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by top_of_kaisya | 2008-08-26 20:58 | 社長の孤独な仕事 | Trackback(1) | Comments(0)
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