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金曜日の動静

今日から6月です。北海道の気候のよさを実感できる季節が始まります。私は、とりあえず冬着を夏物にチェンジしなければと思案中です。夜のチャリは意外に冷えるもので。体調に気をつけて、はしかを予防しましょう。
午前 来客。
午後 道庁ほか。帰社。来客。会長と応対。
オーマイニュース
本日3本掲載。
まずは今朝5時。「「茶人たちの日本文化史」 谷 晃 著」。
書評のつもりで出稿しましたが前回と違ってまともに書評で取り上げてくれました。
さらに4時間後の9時。「異空間でライブドローイング」。
そして15時は「消防車のサイレンは、ドボルザークの1小節なの!?」。
時計台コンサートの話。でも「なの!?」は不要。編集部の判断で入れられました。
いずれもトピック扱い。書評、音楽はいいとして、マカシブはせめてサブトップかと期待したのに…




「茶人たちの日本文化史」 谷 晃 著
 ◇読者レビュー◇ お茶に翻弄されるひとびと

 茶道を習い始め、30年近くが経つ。

 そのきっかけは、骨董品の収集に熱心だった父が、茶器の扱いにも興味を持ったことだった。お茶を習ってみたい、とはいえ、いい年をした男がひとりで通うのは恥ずかしい。そこで父は、小学生だった私をだしに使った。関西ならともかく、北海道では男児がお茶を嗜む機会は少ない。知人から紹介を受けた先生は、男子児童を生徒に持つことが相当嬉しかったらしい。そして飽きっぽい父は早々に破門となり、残された私は学校帰りに稽古へ通うことになった。

 以上が私の話であるが、このように茶道に関心を持つきっかけは様々だ。例えば、江戸時代に禄を食んでいた武家や家元が、明治に入ってから生活に困窮し、貴重な茶道具を手放した。そして、それらを買い集めた財界人たちが茶の湯を嗜むようになった、というパターンもある。

 また、元々男性の嗜む(たしなむ)茶道が、現代では圧倒的に女性のものとなってしまったのも、明治期の学校カリキュラムに起因する。それについては加藤恵津子著「<お茶>はなぜ女のものになったか」(紀伊國屋書店)が詳しい。

 さて、本書は茶の伝来から現代まで、有名・無名の茶に携わった人物を中心に、茶の発展史を展開させている。著者は、茶の湯全般に造詣の深い芸術学博士である。タイトルにいう「茶人」について、茶道 = 抹茶に限らず、煎茶にも言及。さらに日本・東洋では収まらず、東インド会社から米国独立までワールドワイドに話が広がっている。初心者にも読みやすく、広く浅く、茶にまつわる話が紹介されている一冊である。

 利休以前の堺グループと下京グループの拮抗や、茶会での殺人事件を裁く石田三成、風呂に入り素麺を食す「淋汗茶湯」など、あまり知られていない史実も多数紹介。30年習っていても、知識として知らないことがこれほど多いとは……。数寄者の端くれとして恥ずかしい。

 数寄者といえば、これまた様々な定義がある。本書で披瀝されている定義では、私など数寄者の端くれの端にもかからない。とりあえず、一服点てて落ち着こう。

講談社現代新書
2007年2月20日発売
254ページ
777円(税込)
異空間でライブドローイング
 現代アートと建設業者が社会貢献で出会う

 5月27日の日曜日、新進作家・藤谷康晴氏によるライブドローイングが「北海航測ma'kasihbu(マカシブ)」で開催された。

■マカシブ、誕生。

 会場の「マカシブ」は、北海道で航空写真測量・建設コンサルタントを営む「北海航測」の自社ビルにある。
同社は40数年前に購入したアナログ図化機(航空写真から地図を作る機械)を保管してきたが、時代のデジタル化に伴い、今年はじめに撤去された。巨大な機械の跡は3フロアに渡る。これを有効活用しようと、同社社長はテナント募集とあわせて、一般向けに貸し出す方針を打ち出した。地域住民はもちろん、若手作家の作品発表の場として提供できないか、と。

見守る観客(撮影:矢橋 潤一郎) 札幌都心部には、ギャラリーがあふれている。が、どこも賃料は高額だというのがネックだ。フリーターをしながらセンスを磨く若者には、会場費で出費をおさえたいところ。そんな声を伝え聞き、若手作家には格安で貸し出そう。建設業には似つかわしくないが、現代アート発表の場の提供で社会貢献、というのも面白いではないか。土建業者が思いつく社会貢献事業といえば、ゴミ拾いや交通安全運動。そんな紋切り型の発想へのアンチテーゼにもなる。道立近代美術館の裏手という立地もアートだ。社長の思いつきは、突っ走った。

 会場名の「マカシブ」は、「間貸し部」から取った。いや「間貸し部」という部署名自体、おかしい。どころか、同社にも実在しない。営業部は本業の公共事業を扱い、テナント交渉には総務部があたる。社長がひとり、その空間を貸し出そうというのだから、いわば仮想事業部。間(ま)を貸す部。だから「間貸し部」。これをカタカナにして検索すると、意外や、インドネシア語で「ありがとう」を意味する「ma'kasih bu」(マカシブ)が多量に検出された。

 これ幸いに、「ありがとうと言われる企業を目指す」などと取ってつけた社是を組み上げ、PR活動を開始した。

 とはいえ、根っからの建設業者。現代アート何たるや、などわからない。近所でその分野に詳しいカフェのマスターに相談したところ、噂に違わず、会場を探しているという作家をすぐに紹介してくれた。こけら落としを担う藤谷康晴氏との出会いだ。

■ ライブドローイング、始まる。

壁でこする(撮影:矢橋 潤一郎) 現代アートの分野でも、まだ一般に浸透していないのがこのライブドローイング。描き続ける作家の姿と、出来上がっていく作品を鑑賞する。今回行われたのは1日だけのドローイング。藤谷氏は10時から18時までの8時間、飲まず食わず、トイレも極力抑えた。それを4月は2日間行ったのだから、ライブドローイングはまさに体力勝負のアートである。

 趣向も、会場やインスピレーションによって変化する。4月には、壁一面に貼り付けられた黒い模造紙に、白墨で描き続けた。今回の表現手法は、トレーシングペーパーにカーボン紙をあて、爪でひっかきながら造形していくというもの。自らが意識しない線が出ることで、作品の幅が広がる。大判のトレーシングペーパーは、前日に貼り付けておいた。当日は大判に描いた後、A4版を壁や床、天井に貼り付けては、カーボン紙をあて、ひっかく。天井の場合は、脚立に乗っかる。日曜、マンションに囲まれた閑静な場所。カーボン紙をひっかく音が部屋に反響した。

 現代アートというだけあって、抽象的な作品が並ぶ。まさにカーボン紙の上から引っかいただけのようなものもあれば、見ようによっては今回の副題「半透明肉体関係」から発想される妖しい雰囲気を醸し出すものも。尚、この半透明とはトレーシングペーパーを指す。

 ひっかけば、カーボン紙はボロボロになる。その都度、新たなカーボン紙を取り出す。カーボン紙を口にくわえ、脚立に乗りながらトレーシングペーパーを天井に貼り付ける。建設業と現代アートのミスマッチを狙ったつもりが、これは我々の本業に近い作業だ。

■ 成功・そして今後のマカシブ

机にも(撮影:矢橋 潤一郎) 地元ブロック紙で記事として紹介されていたこともあってか、客の入りは予想以上だった。また、「北海航測」という消費者からかけ離れた企業にとって「社名は知っているけど何をしている会社か知らなかった」という地域住民向けにもよい宣伝になった。

 無味乾燥な事務室。照明も設備も手を加えていない。備品を撤去した跡、そのまま。そんなギャラリーらしからぬ部屋での現代アートは、設備が整った会場で見慣れてきた常連客には新鮮に映ったらしい。「マカシブ」の評判は上々。

 次はどんな作家が「マカシブ」で面白い作品を見せてくれるのか。間貸し部長兼任の社長は、建設業者という我を忘れてワクワクしている。
消防車のサイレンは、ドボルザークの1小節なの!?
 50回目を迎えた時計台コンサート

 「NPO法人 ひつじのかい」主催の時計台コンサートが、5月23日の演奏会で50回目を迎えた。

 「Clock Tower Concert」と称して、観光名所である札幌時計台の2階でほぼ毎月開催されている。ほぼ、というのは、必ずしもコンスタントに毎月行えるとは限らないためで、次回は9月の予定。

 記念すべき50回目は、「ロシア・北欧のロマン」と銘打ってのチェロとピアノの演奏会。チェリストは、札幌交響楽団の文屋治実氏。2部構成で2時間近く。これで1000円は安い。趣向は毎回変わる。前回はオペラだった。
時計台内部(撮影:矢橋 潤一郎)
 時計台が「日本3大ガッカリ観光地」のひとつとして挙げられるのは、北海道の雄大な自然のなかに建っているのでは、という勝手なイメージによるもの。確かにビルの谷間につつましく座す姿は、市民から見ても気の毒。脇を走る幹線道路は、トラックの騒音が止まず、救急車や消防車のサイレンはけたたましい。

 時計台の内部構造も、クラシックの演奏において音響が良いのかどうか、素人にはわからない。ただ、名門・札響の奏者が演奏する環境にふさわしいとはいえないのは確か。ちなみに市内には、音響では世界レベルの「札幌コンサートホールKitara」という施設が存在する。

 それでもプロの演奏家が毎月、時計台で演奏してくれるのは、NPOの趣旨に賛同してのことだろう。だが推測するにそれだけではなく、札幌市のシンボルである時計台で演奏すること自体に意義を見出しているのではないだろか。内村鑑三や新渡戸稲造に訓示を垂れたであろう壇上で、チェロを弾く。時空間を超え、「都会の喧騒」と「クラシック」というアンバランスさえも演奏に取り入れる。もしかすると、このコンサートをもっとも楽しんでいるのは奏者ではないだろうか。

 時計台の7時の鐘の音が鳴ると同時に、コンサートが始まる。

 グリーグの「チェロ・ソナタ イ短調 Op,36」がどれほどの曲なのか、ラフマニノフが誰なのか、知らなくても手軽に、会社帰りに、格安でクラシックに親しめる。地方都市なりの文化の楽しみ方がこうして増えると、嬉しい。