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【読後感】 釜ヶ崎と福音

釜ケ崎と福音 ― 神は貧しく小さくされた者と共に
本田 哲郎 / / 岩波書店

クリスマスイブに読むのにもってこいの1冊。
結果的に読み終わりがイブの夜に差し掛かっただけで、本書はタイトル通り、カマの話を読みたくて借りました。今年春先に発売された本です。新刊は届くまで2ヶ月はかかります。本書も10月に予約を入れてようやく。忘れた頃にやってきたので、クリスマスのタイミング。

タイトル通り、というのは、内容もそのままで、前半に西成の話が出たあとは、ひたすら聖書の読み解きです。クリスマス気分がいやがおうにも盛り上がります。クリスチャンは寄せ場でボランティアをします。先日読んだ山谷のホスピスも信仰心が随所に表れています。本書はさらに聖書に踏み込んだ仕立てになっています。

アイヘンバーグの絵から始まるのも象徴的です。
画像をお借りしています<(_ _)>
炊き出しに並ぶホームレスの絵ですが、キリストはその列に描かれています。キリストは「ほどこし」を与える側ではなく、「貧しく小さくされた人たち」の側にいるのだと。
聖書の読み解きではこの「ほどこし」が上からの目線で与えるものと思われがちですが、実は哀しさを共有・共感することを指す、という解釈になるのだそうです。また「貧しく小さく-」という表現が多分に登場します。

著者が西成の野宿者におにぎりを与えようとすると仲間を指して「この人らの分もあるんか」「わし一人やったら食われへん」。あると言うと「すまんな」と食べてくれたという場面。
路上死した人々の慰霊の場で500円玉を「両替してくれ」と言う労働者。聞けば「わしなぁ、500円玉一個しか無いねん」。仲間が死んだことがそこでわかり、供えたいが明日の朝食の分も残さねば。それで両替してくれと。
毛布を夜、野宿者に配っていると「兄ちゃん、すまんな、おおきに」。
救う側であるはずが、彼らの反応によって己が救われた気分になる。
労働者がこれからの生活を憂い、愚痴をこぼす。隣にいた労働者が「兄ちゃん、わしらもいっしょやで」。
いずれも西成の、労務者のおっちゃんらのナマの姿です。

結論は、食べ物や寝床を与えるのではなく、自活できる段取りを手伝うこと、と〆ています。
ひとの立場に立って考える、という教育は正しくない。同じ立場に立てるわけはない。貧しいひとの立場に立つのは難しいし、かといって貧しくなれ、というのも論理がおかしい。それよりも教えてもらう、という姿勢が正しく、聖書でもそのように読める、とのこと。

よいクリスマスイブでございました。

図書館で借りました
by top_of_kaisya | 2006-12-24 23:33 | 読/見/観