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靖国神社問題「国民と話し合って」

(道新小学生新聞フムフム/北海道新聞 夕刊)

北海道新聞は道新小学生新聞フムフムを本紙に折り込んでいる。
以前は紙面の一部、見開きのみだったが最近、折込の別刷りになった。
見開き裏表だから情報量は倍増した。
地図やグラフを駆使しているので、町村合併の現状などは大人が読んでもためになる。

が、ためにならない、要らんことを書きたがるのがこの新聞の悪いところ。

「ニュース教室」という編集委員が小学生向けにわかりやすく説明するコラムが片隅にある。
今日のテーマは「靖国神社問題」。タイトルは「国民と話し合って」。
 靖国神社問題でも日本と中国の間がぎくしゃくしています。
小泉首相が靖国参拝を続けることに対しての批判である。
 中国などが問題としているのはA級戦犯もまつられていることです。勝った側による裁判で死刑にされたにせよ、彼らが戦争を指導し大勢の人々を死に追いやったことは事実です。
完全に中国のスタンスで靖国をとらえようとしている。この編集委員は中国人か?日本人として、日本の立場に立って、日本の国益を考え、その上でそれでも中国の言い分を全面的に飲もうよ、というのなら、この編集委員はあまりにも思慮が無さ過ぎる。
そういう記者を編集委員として紙面を任せる道新も困りもの。

道民の圧倒的多数は、道新を読んでいる。
道民の多くは、道新のほかに比較すべく2紙目は読まない。
ましてや小学生は、自宅に置いてある道新に触れる機会が多く、学校で
「新聞を通じて勉強しましょう」といういわゆるNIEに際しては、自宅の新聞つまり道新を
持って行き、道新の論調に沿って世の中をとらえることになる。

左がかった先生たちにはもってこいのシステムだ。

「内政干渉だ」などと反発する以前に、靖国神社問題を国民とよく話し合ってきたでしょうか。
不思議な問いかけだ。
内政干渉なのは明らか。ひとん家の墓参りに文句つけられて気分を害さない方がおかしかろう。

私の祖父は広島の原爆で1945年8月7日に亡くなった。
では私がとるべき行動は、アーリントン墓地を参拝する米国大統領に対し
参拝をとりやめるよう求めることだろうか。
その時代は、国家間の戦争だったのだ。使う武器が槍かミサイルか核兵器か、の違いで。
その時代は、核兵器の恐ろしさを知っているひとの方が少ない。広島・長崎の惨状で
ようやくこの武器は使っちゃいけないと誰もが気付いた。

被爆者の孫として言うべきことは「核兵器を持たないでほしい」
「戦没者の霊前で不戦を誓ってほしい」。
でも米国大統領は、核を保有し続けるし、戦争は手段のひとつとして続ける。

翻って我が国は、核を持たないどころか専守防衛のための兵力しか備えない。
我が国の首相は、靖国の霊前で不戦を誓ってくれる。

戦後60年、我が国は戦争をしていない。戦争に加担したとかいうこじつけはなんとでもできるが
宣戦布告をしていない。徴兵制もやめた。これは憲法9条があるからとかではなく
しちゃいけない、という日本国民のコンセンサスだ。よく左翼の方々は「偏狭なナショナリズムは
戦争を生み出す」と難癖をつけるが、好んで戦争しましょうよ!という国民が日本にどれくらい
いるだろう。左がかった方々のより所は「右寄りの連中は戦争したがるから気をつけなくては!」
という妄想。これが無くなっては彼らの思想の存在意義が無くなってしまう最後の砦。

他国に不戦を誓え!と言ってる中国自身が核を保有し、人民解放軍を使って隣国と争い
台湾に対しミサイルを撃ち込んでは牽制する。
うちは戦争しないって言ってるんだから、おたくも兵器で脅すのはやめなさいよ、くらいは
言ってもいいのでは。この編集委員はそういう視点は持ち合わせていないようだが。

国民と話し合う…というのも、なんでも話し合いで決着をつけようという偏狭な民主主義。
左がかった方々が存在する限りは、話し合いは成立しない。しかし左がかった思想を国民は
すでに必要としていないのは、国会から左がかった政党がどんどん少なくっていることからも
わかる。
どんな宗教の人も宗教を持たない人もお参りできることが必要でしょう。二度と戦争を起こさない決意を新たにし平和を訴える場であるべきです。戦死者を次々に黙って受け入れる施設では困ります。
「次々に」という表現がいやらしい。
さも、これからも戦争が続き、戦争を鼓舞しているのは靖国だと言わんばかり。

少々怖いのは、こうして小学生を洗脳しては物事をややこしくすること。
教育の影響力の大きさは、先般の反日教育を受けた中国の若者の無法ぶりを見てもわかる。
愚行を繰り返すのも左がかった方々の特質。愚行に日本も中国もないらしい。